美幌海軍航空隊と基地の歴史 Stories of the Bihoro Naval Air Squadron and its Air Base

美幌海軍航空隊の歴史は、七〇一空となってからの時期を合わせ、昭和15年10月1日から昭和18年3月15日までの約2年半、正確には896日間のみです。この間、帝国海軍基地航空部隊の一部として、中国大陸、マレー、ソロモン諸島方面にて作戦に従事しました。
The history of the Bihoro Naval Air Squadron (NAS), including the period after renaming to the 701st NAS, is only two and a half years, more accurately 895 days, from 1 October 1941 to 15 March 1943.  During the time, it was involved in several operations as a part of IJN land based air forces in main land China, Malay and Salomon Islands.

九六式陸攻を擁して広範囲に活躍し、一度は地元である北海道・美幌町に凱旋した部隊でしたが、最終的には南太平洋のラバウルで消耗しほぼ全滅に近い形で解隊されたのでした。
Using Type 96 RIKKO's or code name 'Nell', it was successfully operating in wide area, and once made a triumphant return to the home town, Bihoro, Hokkaido.  However, it was heavily exhausted, almost anihilated and finally dissolved in Rabaul, Southern Pacific.

ここでは、その栄光と悲劇の歴史について、手元にある各種資料に基づいて少しずつではありますが記していきます。
Let me tell you about the history of honor and tragedy one by one, based on the materials available in my hand.

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目次 Contents (かなり工事中です)

1 はじめに

 1) 中攻について
 2) 中攻会・中攻の会 CHUKO-KAI/CHUKO-NO-KAI
 3) 戦局全般について 

2 美幌海軍航空隊の歴史 History of the Bihoro Naval Air Squadron

 1) 美幌海軍航空隊の開隊
 2) 中支作戦(重慶爆撃他)
 3) 第一段作戦(マレー沖海戦他)
 4) 美幌への凱旋
 5) ラバウル進出(レンネル島沖海戦他)
 6) 美幌海軍航空隊の解隊

3 海軍美幌基地の歴史 History of the Naval Bihoro Air Base

 1) 基地建設から空地分離まで
 2) 基地の様子
 3) 後方基地としての役割
 4) 海軍航空廠
 5) 連合軍による占領 Occupation by the Allied Forces

4 サイド・ストーリー

 1) 英国Z部隊とシンガポール陥落
 2) 空母冲鷹と双子の米国潜水艦
 3) 美幌町議会看板論争
 4) 北海道空襲 Hokkaido Air Raid
 5) (つづく)

(original 03/26/05; last updated on 12/06/20)

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06 December 2022

サイゴンでの令和4年慰霊の日 2022 Memorial Day in Saigon

本年の中攻の日慰霊祭には、海外へ出張しているため残念ながら参加することができません。ただ、その出張先がまた不思議なくらい因縁めいておりまして、ベトナムのホーチミン市、昔のサイゴン、つまりマレー沖海戦の出撃地なのです。美幌空と鹿屋空の前線基地のあったツドウム(Thủ Dầu Một; トゥーザウモット)はホーチミン市の北約20km、ビンズオン省の省都で50万人の人口がある中核都市になっている模様。日本海軍の存在は歴史の上ではほんの短い時間だったでしょうから、その痕跡を探すのは容易なことではなさそうです。近いうちにひょっとするとまた出張でくるかもしれず、少しずつでも何か残っていないか調べてみようと思っています。日英両国の戦死者に思いを寄せながら、12月10日を当地で迎えるところです。

Unfortunately, I cannot attend the memorial service for the CHUKO soldiers this year, due to my business trip abroad.  However, it is fateful; the trip is to Hồ Chí Minh City (HCMC), formerly known as Saigon where the IJN air front bases for the Sea Battle off Malaya were located.  For Bihoro and Kanoya Naval Squadrons, an airfield in Thủ Dầu Một was used, 20 km from HCMC, which is a core city with a 50,000 population in the region as the Capitol City of the Bình Dương province.  IJN presence must be just a small part of the history there, so it would not be easy to find any remains.  In near future, I would be returning on another business trip so I would like to deepen my research.  R.I.P all lost on both sides British and Japanese; I will be praying here in Saigon on December 10th.

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ホンダのバイクが川のように流れる。
HONDA motorcycles are flowing like a river.

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10 December 2021

令和3年慰霊祭・懇親会 2021 Memorial Service & Party

マレー沖海戦から80周年、今年も変わりなく原宿の東郷神社にて慰霊祭が行われました。その後の懇親会も、神社の中で行われました。メニューはお弁当、乾杯はお茶で、パンデミックを意識した内容でした。
After 80th years after the Sea Battle off Malay, the memorial service was held at the Togo Shrine, Harajuku, Tokyo, as usual.  Following the ceremony, there was a small party in the shrine.  Today's menu was a lunch box with green tea, noting the current pandemic situation.

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もともとの「中攻会」は既に解散しており、その後「中攻の会」として緩やかな形で存続しております。ご高齢の方々の参加がさらに減って、元海軍搭乗員の方わずか一名(97歳)やご遺族の二名を含む13名の集まりとなりました。
The original CHUKO-KAI has already been resolved, and CHUKO-NO-KAI keeps its activities in a more informal manner.  The number of elderly participants keeps declining, thirteen of ours including only one IJN veteran pilot (97 years old) and two bereaved family members.

懇親会席上で、書棚にある小林昇氏の600頁を超える新著「九六陸攻戦史」が披露され、著者ご自身よりご紹介・配布がありました。そこに出てくる数々の搭乗員についての話が、尽きることなく続きました。私からも、マレー沖海戦の戦艦レパルスを巡る物語を、ここに添付するA5サイズの冊子にしてお配りしました。
At the party, a more than 600 pages new book, titled 'Type 98 Nell War Stories' written by Mr. KOBAYASHI Noboru, placed on the bookshelf, was introduced and delivered by the author himself.  Talks about the pilots and crew continued endlessly.  I delivered, too, below attached A5 size booklet regarding HMS Repulse story at the Sea Battle off Malay.

ダウンロード - e4b8ade694bbe4bc9a_r031210.docx

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中攻会・中攻の会 CHUKO-KAI/CHUKO-NO-KAI」へ戻る。

(last updated on 12/07/22)

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21 September 2021

1940/08/19&20 漢口からの第30及び31次重慶攻撃

この度、1945年8月19・20日の重慶爆撃に関する映像を見る機会があるので、日本側がどのように記録しているか予習してみました。いずれの日も敵戦闘機隊の捕捉を主たる目的としていたものの、これらが決戦を回避して退避してしまったため、自軍戦闘機隊の制空下で余裕のある爆撃となった模様です。

但し、高度6800~7000mからの投弾であり、弾着図やその説明を見ると必ずしも正確に目標だけを捉えたようには見えません。周辺への被害も、避けられなかったように思われます。

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1940年8月19日        爆撃時刻
十三空偵察隊
十三空-石馬州飛行場空襲      午後2時55分~3時00分
十五空-D区軍事施設空襲      午後2時46分~3時07分

1940年8月20日        爆撃時刻
十三空偵察隊
十三空-白市駅飛行場空襲      午後3時35分~3時50分    
十五空-川黔公路付近軍事施設他   午後3時00分~3時03分

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1940/08/20 十三空の漢口からの重慶攻撃-白市駅飛行場空襲

昭和15年8月20日の十三空による爆撃は、「全弾白市駅飛行場及び市街地に命中、効果大」と記録されています。

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JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120838700C14120839500
自昭和15年8月 至昭和15年8月 支那事変戦闘詳報(防衛省防衛研究所)

第31回重慶攻撃戦闘詳報 第13航空隊
昭和15年8月20日

表紙
目次

第三十回重慶攻撃偵察戦闘詳報
 1 計画
 2 経過 
 3 成果
 4 被害
 5 功績
 6 所見

 付表第一 飛行機隊編成表
 付表第二 行動図
 付表第三 兵器消耗調査表
 付表第四 燃料潤滑油消費調査表 
 付録 電報発受信誌写し

 連合空襲部隊戦闘概報第89号(8月20日) 抜粋

 別紙 重慶攻撃収容隊(8月20日)
  (1) 編成
  (2) 経過

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3 成果
  (1) 爆撃成果(弾着図参照)

 

付表第二 行動図
Photo_20210921174801

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1940/08/20 十三空偵察隊の漢口からの重慶攻撃支援

昭和15年8月20日の、十三空偵察隊による重慶爆撃支援の様子です。かなりの広範囲で天候偵察を行っているのがわかります。

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JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120836800C14120838600
自昭和15年8月 至昭和15年8月 支那事変戦闘詳報(防衛省防衛研究所)

第30回重慶攻撃偵察戦闘詳報 第13航空隊
昭和15年8月20日

表紙
目次

第三十回重慶攻撃偵察戦闘詳報
 1 計画
 2 経過 
 3 成果
 4 功績
 5 所見
 付表第一 行動図
 付表第二 燃料潤滑油消費調査表
 付録 電報発受信誌写し
  連合空襲部隊戦闘概報第89号(8月20日) 抜粋

 重慶攻撃収容隊

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付表第一 行動図
Photo_20210921175601 2_20210921175601 3 4 5
    

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1940/08/19 十三空の漢口からの重慶攻撃-石馬州飛行場空襲

昭和15年8月19日、第十三空による重慶攻撃は、「重慶第五目標に対して約半数弾場内に命中」と記録されています。

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JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120836800C14120837700
自昭和15年8月 至昭和15年8月 支那事変戦闘詳報(防衛省防衛研究所)

第30回重慶攻撃偵察戦闘詳報 第13航空隊
昭和15年8月19日

表紙
目次

第三十回重慶攻撃偵察戦闘詳報
 1 計画
 2 経過 
 3 成果
 4 功績
 5 所見
 付表第一 飛行編隊編成表
 付表第二 行動図
 付表第三 兵器消耗調査表
 付表第四 燃料潤滑油消費調査表
 付録 電報発受信誌写し
  連合空襲部隊戦闘概報第88号(8月19日)其の2 抜粋

 重慶攻撃収容隊

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3 成果

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付表第二 行動図
Photo_20210921174401

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1940/08/19 十三空偵察隊の漢口からの重慶攻撃支援

昭和15年8月19日、十三空偵察隊の重慶爆撃支援の様子です。

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JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120835900C14120836700
自昭和15年8月 至昭和15年8月 支那事変戦闘詳報(防衛省防衛研究所)

第30回重慶攻撃偵察戦闘詳報 第13航空隊
昭和15年8月19日

表紙
目次

第三十回重慶攻撃偵察戦闘詳報
 1 計画
 2 経過 
 3 成果
 4 功績
 5 所見
 付表第一 行動図
 付録 電報発受信誌写し 
  連合空襲部隊機密第525番電 20日13時00分

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第三十回重慶攻撃偵察戦闘詳報
1 計画

(1)受領せる命令 連合空襲部隊信令作第82号 15.8.16 

発信者 連合空襲部隊指揮官
着信者 連合空襲部隊

1.  四川所在敵戦闘機(第一線機)は約50機にして、重慶常駐兵力はうち20数機なるものの如く、更に我重慶空襲時成都戦闘機隊の一部は重慶に来援するものの如し。

2. 連合空襲部隊は明19日航空兵力の全力を以て重慶攻撃を実施し、重慶付近の敵戦闘を空中・地上に捕捉、一挙に之を殲滅せんとす。

(以下省略)

付表第一 行動図
Photo_20210921180401 2_20210921180401 3_20210921180401

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連合空襲部隊機密第525番電 20日13時00分

発 連合空襲部隊指揮官
着 支那方面艦隊司令長官

連合空襲部隊戦闘概報第88号(8月19日)其の2 抜粋

1 天候偵察隊

(1)陸偵1機 午前6時30分発進、重慶偵察を実施。重慶付近敵戦闘機21機を偵察せり。

(2)偵察隊陸偵4機 午前10時30分以後逐次白螺磯発進、午後0時40分より午後3時45分重慶付近飛行場を偵察・触接せるも、午後1時55分以後敵機(20機)見失えり。第一次偵察隊は、午後1時00分、重慶所在戦闘機19機を認めたり。

(終わり)

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20 September 2021

1940/08/20 十五空の漢口からの重慶攻撃-川黔公路付近軍事施設及び西方倉庫群空襲

いわゆる重慶爆撃のうち、昭和15年8月20日のものがどのように記録されているか見てみました。十五空はその後機材の全部と人員の半分を朝鮮・元山空に、残りの半分の人員を北海道・美幌空に、それぞれ新設のために引き継いで解隊となった部隊です。

8月19日の攻撃と同じく、敵戦闘機が退避してしまったため制空下の爆撃となりました。但し、中攻1機が被弾のためか失われたほか、帰投した1機にも多数の被弾が認められました。

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JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120939700C14120940800
自昭和15年6月 至昭和15年9月 支那事変戦闘詳報(防衛省防衛研究所)

第15空機密第14号の90 第15航空隊戦闘詳報 其の83(重慶第31回攻撃) 
昭和15年8月20日

中表紙
目次

連空襲第三十一次(十五空第二十八次)重慶攻撃戦闘詳報
 1 計画
 2 経過 続き
 3 成果
 4 戦闘後における我が兵力の現状
 5 功績
 6 所見
 付表第一 飛行隊編成表
 付表第二 行動図
 付表第三 死傷者調査表
 付表第四 兵器故障欠損調査表
 付表第五 兵器消耗調査表
 付表第六 燃料潤滑油消費調査表
 付表第七 天候
 付録 電報発受信誌写し
  連合空襲部隊戦闘概報第89号(8月20日)

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以下抜粋し、日本側の意図と当初の戦果認識を転記します。少なくとも計画は敵戦闘機の空中・地上での殲滅であり、これがかなわなかった際のB区、D区への爆撃がどれくらい精密なものといえるのか、が問題だと思われます。

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連空襲第三十一次(十五空第二十八次)重慶攻撃戦闘詳報
1 計画 受領せる命令 連合空襲部隊信令作第83号

1. 連合空襲部隊は明21日(ママ)重慶第三十一回攻撃を実施し、敵戦闘機を捕捉撃滅すると共に軍事施設を攻撃撃破せんとす。

(以下省略)

3 成果

(1)爆撃効果 中隊/爆撃目標/効果
  一・二中隊/川黔公路付近軍事施設/弾着概ね目標を被い二ヶ所炎上す
  三中隊/右西方倉庫群/弾着概ね目標を被い一ヶ所炎上す

(2)弾着図
 Photo_20210921133702

付表第二 行動図
Photo_20210921174101

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着信者 支那方面艦隊司令長官
発信者 連合空襲部隊指揮官

連合空襲部隊戦闘概報第89号(8月20日)

1 奥地攻撃

零式艦戦及び中攻全力を重慶に進撃せしめ、重慶第三十一回攻撃を実施せり。敵戦闘機は30分前に逃避せるを以て之を捕捉し得ざりしも、中攻隊は軍事施設を爆撃、甚大なる損害を与えたり。

 (1)天候偵察隊

(イ) 陸偵1機午前6時30分発進、重慶偵察を実施せり。雲量多く廣陽覇に戦闘機5機を認めたる外、他の飛行場は偵し得ず。
(ロ) 右天候の状況より更に午前10時30分発進、重慶偵察を実施せり。重慶付近飛行場に戦闘機16機、大型飛行機3機所在するを偵察せり。
(ハ) 艦攻1機午前6時45分発進、山岳地帯の天候を偵察せり。

 (2)戦闘隊(指揮官伊藤大尉)

零式艦戦12機は、陸偵2機に誘導せられ午後1時15分、宜昌発進攻撃隊に陰密に先行、午後2時35分k重慶に到達せるも、敵は30分前既に逃避せり、空戦を実施せず重慶付近を制空せり。

 (3)攻撃隊

粟ノ原少佐を総指揮官とし戦闘隊の約1時間後重慶上空に達するの如く進撃、我が制空下の重慶主要施設を爆撃せり。

(イ) 成果
(1) 第一攻撃隊(十三空中攻26機直卒)
重慶北方にて暫時待機したるも敵情を得ざりしを以て、午後3時55分、所定の目標たる白市駅飛行場を爆撃(二五番26発、六番208発)、大部分を以て飛行場南半分及び付近施設を蔽い、中型機2機、掩体内小型機1機弾幕内に在りしも炎上せず。一部を以て北西部拡張地区を蔽い小型機3機(囮機の疑いあり)弾幕内に在り。敵並びに飛行場に対し、甚大なる損害を与えたり。
(2) 第二攻撃隊(一連空中攻36機、山ノ上少佐)
揚子江子石北側工場地帯を爆撃(二五番72発、六番108発、七番12発。カ四弾24発)。全弾裕華河廠以北の工場構内に命中、一ヶ所大火災を起こし甚大なる損害を与えたり。
(3) 第三攻撃隊(十五空中攻27機、三原少佐)
午後3時37分、26機を以て海●渓碼地区を爆撃(二五番52発、六番104発)、一・二中隊川黔公路付近地区一帯に弾着、二ヶ所炎上す。三中隊其の西方倉庫群に弾着、一ヶ所炎上し甚大なる損害を与えたり。一機は油●の為午後3時10分分離、単独梁山を爆撃し帰途に就く。午後5時35分頃、機体振動大にして受信困難との発信をなしたる後連絡絶ちたるを以て、宜昌上流揚子江流域を飛行捜索せるも、未だ何等の消息なし。

(ロ) 防禦放火
(1) 第一攻撃隊は白市駅飛行場付近より微かなる高角砲射撃を受く。
(2) 第二攻撃隊は住宅付近(数門)及びD区北東部嘉陵江岸等より相当熾烈なる高角砲射撃を受く。
(3) 被害 第二攻撃隊被弾機1機(高角砲) 第三攻撃隊行方不明1機

 (4)偵察隊

陸偵2機、午前11時より逐次白螺磯発進。午後1時15分より午後3時30分の間、重慶偵察を実施し攻撃隊及び戦闘隊に協同せり。

 (5)収容隊

誘導陸偵の燃料を顧慮し誘導陸偵は引継ぎとして陸偵1機を浯洲に派遣せる外、中攻8機、艦攻8機、艦爆3機、水偵察1機を以て収容に任じたり。

 (6)宜昌警戒隊

艦爆3機、艦戦6機を以て昨日と同様に実施せり。

2 空中哨戒
艦爆延べ8機を以て十四基地上空哨戒を実施せり。

(終わり)

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1940/08/19 十五空の漢口からの重慶攻撃-D区軍事施設空襲

いわゆる重慶爆撃のうち、昭和15年8月19日のものがどのように記録されているか見てみました。十五空はその後機材の全部と人員の半分を朝鮮・元山空に、残りの半分の人員を北海道・美幌空に、それぞれ新設のために引き継いで解隊となった部隊です。

敵戦闘機をおびき出して零戦隊が攻撃する作戦であったところ、敵戦闘機隊が退避してしまったため、飛行場を中心に爆撃を行って帰投したと記録しています。

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JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120938600C14120939600
自昭和15年6月 至昭和15年9月 支那事変戦闘詳報(防衛省防衛研究所)

第15空機密第14号の89 第15航空隊戦闘詳報 其の82(重慶第30回攻撃) 
昭和15年8月19日

中表紙
目次

連空襲第三十次(十五空第二十七次)重慶攻撃戦闘詳報
 1 計画
 2 経過 続き
 3 成果
 4 戦闘後における我が兵力の現状
 5 功績
 付表第一 飛行隊編成表
 付表第二 行動図
 付表第二その2 収容隊行動図
 付表第三 兵器消耗調査表
 付表第四 燃料潤滑油消費調査表
 付表第五 天候
 付録 電報発受信誌写し
  連合空襲部隊戦闘概報第88号(8月19日)其の2

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連空襲第三十次(十五空第二十七次)重慶攻撃戦闘詳報
1 計画

(1)受領せる命令 連合空襲部隊信令作第82号

1.  四川所在敵戦闘機(第一線機)は約50機にして、重慶常駐兵力はうち20数機なるものの如く、更に我重慶空襲時成都戦闘機隊の一部は重慶に来援するものの如し。

2. 連合空襲部隊は明19日航空兵力の全力を以て重慶攻撃を実施し、重慶付近の敵戦闘を空中・地上に捕捉、一挙に之を殲滅せんとす。

(以下省略)

3 成果

(1)爆撃効果 爆撃目標/効果

 重慶D区軍事史施設/全弾的軍事施設散在せる地区を覆い一ヶ所炎上す。

(2)弾着図
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付表第二 行動図
Photo_20210921173801

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着信者 支那方面艦隊司令長官
発信者 連合空襲部隊指揮官

連合空襲部隊戦闘概報第88号(8月19日)其の2

1 重慶第三十回攻撃

零式艦戦および中攻全力を以て重慶付近に行動せる敵戦闘機捕捉を企図したるも、戦闘機隊重慶付近上空に到達せるも全部逃避せり。爾後重慶上空全く機影なし。中攻隊は戦闘機隊制空下に重慶市街軍事施設及び石馬州飛行場を爆撃、多大の戦果を収め全機帰還せり。

(1)偵察隊

陸偵4機午前10時30分以後逐次白螺磯発進、午後0時40分より午後3時45分迄重慶付近飛行場を偵察・触接せるも、午後1時55分以後敵機(20機)を見失えり。第一次偵察隊は、午後1時00分、重慶所在戦闘機19機を認めたり。

(2)戦闘機隊(横山大尉指揮官)

零式戦闘機12機、午後2時00分重慶上空に到達せしも敵機は遁走し、付近を捜索せるも敵機を発見するを得ず。約1時間制空の後帰途に就けり。零式艦戦1機は、Wより宜昌に進出、着陸の際顛覆中破、乗員微傷せり。

(3)攻撃隊(総指揮官樋端中佐)

第一攻撃隊(十五空中攻26機、三原少佐)、第二攻撃隊(一連空中攻27機、棚町少佐)、第三攻撃隊(十三空中攻27機、鈴木少佐)は、午前10時30分各基地を発進、午後1時14分、涪州付近に達し陽動、敵戦闘機を離陸せしめたる後、重慶周辺に待機せり。午後1時25分乃至午後1時35分離陸せる敵戦闘機は午後2時00分頃重慶より退避せるを以て、目標を軍事施設に変更、爆撃せり。

(イ) 成果 第一攻撃隊は午後3時03分、D区南部を爆撃(六番312発)、一ヶ所炎上せり。第二攻撃隊は午後3時00分、B区南部を爆撃、全弾(六番324発)委員長行営付近に弾着、一ヶ所炎上せり。第三攻撃隊は石馬州飛行場に小型5機(囮機の疑いあり)を発見しこれを爆撃(六番324発)、場内西側に弾着、別の小型飛行機1機を弾幕内包したるも炎上ぜず。
(ロ) 地上砲火 第一・第二攻撃隊は、緩慢なる高角砲射撃を受く。
(ハ) 被害 第一攻撃隊、被弾機3機(高角砲)

(4)天候偵察隊

(イ) 陸偵1機午前6時30分発進、重慶偵察を実施、重慶付近敵戦闘機21機を偵察せり。
(ロ) 艦攻1機午前6時45分発進、山岳地帯天候偵察を実施せり。

(5)収容隊

(イ) 第一収容隊 中攻8機(各隊2期)を忠州付近に、艦攻8機を萬縣付近に配備し戦闘機帰投に便ならしめたり。
(ロ) 第二収容隊 江上飛行機隊水偵1機、艦爆3機(外に水偵1機宜昌地上待機)を萬縣下流20km(10浬)、小舟渡付近に配し戦闘機の不時着に備えたり。
(ハ) 宜昌警戒隊 九六艦戦6機、艦爆3機を以て宜昌上空警戒並びに宜昌付近まで戦闘機収容誘導に任じたり。

2 空中哨戒

艦戦延べ13機(十四基地)、延べ15機(二十一基地)を以て上空哨戒を実施せり。

(終わり)

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09 September 2021

重慶爆撃と復旧作業の映像

米国国立公文書館のHPで公開されている、重慶爆撃とその後の復旧作業、それを指導する蒋介石夫人の様子が、ニュース映画「United News」のトップ項目となっています。

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CHUNGKING BOMBED AGAIN - FIGHTS ON [ETC.]
https://catalog.archives.gov/id/38928 Narac_1

Scope & Content

Part 1, General and Madame Chiang Kai-shek observe citizens of Chungking rebuilding their rubbled homes.
Part 2, Gen. Arnold decorates Air Force flyers.
Part 3, a large oil tanker is launched.
Part 4, Turkish newsmen lay a wreath on the Unknown Soldier's Tomb in Arlington, Virginia.
Part 5, citizens of San Francisco's Chinatown view a captured Japanese submarine. Shows a dragon dance in the street.
Part 6, Clark Gable is commissioned.
Part 7, Brazilian troops debark at a port in Brazil.
Part 8, the Dionne quintuplets sell bonds in Toronto.
Part 9, Gen. MacArthur and Gen. Thomas Blamey inspect positions in the New Guinea jungle.

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Photo_20210909164501 0:52 爆撃の様子

Photo_20210909165801 0:55 破壊された市街地

Photo_20210909164701 1:06 復旧作業

Photo_20210909164901 1:08 蒋介石夫人の三姉妹

Photo_20210909165101 1:10 蒋介石

Part 2, Gen. Arnold decorates Air Force flyers.
(ここまで短縮版には収録;以下はなし)
Part 3, a large oil tanker is launched.
Part 4, Turkish newsmen lay a wreath on the Unknown Soldier's Tomb in Arlington, Virginia.
Part 5, citizens of San Francisco's Chinatown view a captured Japanese submarine. Shows a dragon dance in the street.
Part 6, Clark Gable is commissioned.
Part 7, Brazilian troops debark at a port in Brazil.
Part 8, the Dionne quintuplets sell bonds in Toronto.
Part 9, Gen. MacArthur and Gen. Thomas Blamey inspect positions in the New Guinea jungle.

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